無関心ではいられない。一緒に考えてみませんか?小中学校の「道徳」の教科化について。

himaguriです。
近い将来、小中学校の子供たちを対象に、道徳が「教科」になるそうです。
ピンと来ませんか?私も最初は「何のこっちゃ?」という感じでした。
これまで、「教科外活動」という位置づけだった道徳が、「特別の」という条件付きで、国語や算数などとほぼ同等のものになるということです。
私も先日、新聞で読んで、初めて知り、そして考えさせられました。
これは、私たちが学校で受けた教育と、私たちの子ども世代が受ける教育が、またひとつ「違った」ものになるということです。
このブログは、ティ子と同じくらいの世代のお子さんを持つご家庭に向けて書いていますので、小学校に入学してからの話は、まだちょっと早いかもしれません。
でも、ひとりの子を持つ親になって、子どもへの教育というものの難しさや楽しさについて考え始めた今、こういったことにも関心を持って、色々と勉強をしていきたいと思い、今回の記事を書こうと思い立ちました。
一般的な教養として、パパママの共通の話題にもなるかも知れませんので、あなたも一緒に勉強しましょう^^
道徳の教科化について、現在予定されているスケジュール、その簡単な内容、懸念されていることなどについて、まとめていきたいと思います。
少々、固い話になりますので、お茶でも飲みながらリラックスして読んで下さいね。
パパっと読むための目次
道徳の「教科」化はいつから?
文部科学省(以下、文科省)の発表では、小中学校を対象に、道徳の教科化が行われます。
2017年の4月から小学校で、2018年の4月から中学校で実施される予定となっています。
ティ子は現在1歳と2ヶ月なので、小学校に上がるのは5年後の2023年からです。ちょっと先ですね。
それまでにどうなっているかはわかりませんが、順当に進んだ場合、ちょうど6年生全員が、教科としての道徳の授業を、6年間きちっと受けた状態となってからの入学になります。
これまでの道徳の授業とは、何が変わるのか?
そもそも「教科」とはどういう科目のことなのか。
具体的には、国語、算数を筆頭とする、「一週間の時間割の中で、多かった科目」のように考えて、おおすじの間違いはありません。
では、あたらしい教科としての道徳は、これまでと何が違ったものになるのか?
大きく制度上で変更になるのは、以下の2点です。
・授業が時間割上必須となる
・教科書が文科省指定のものになる
順を追ってご説明します。
道徳の授業が時間割上必須となる
小学校の授業は、学年ごとに、一年間で何時間の授業をしなさいと、教科ごとにきちっと決められています。
それは、教科も教科外活動も同じです。
参考:学習指導要領(下の方に、授業を行う時間が表で書かれています)
これまで「教科外活動」に含まれていた道徳ですが、教科になることで、それ単独で授業を行う時間が定められます。
道徳で予定されている時間は、年間35時間(1年生は34時間ですが)。
月に直して約3時間。小学校の授業は一コマ45分なので、4コマです。
週に1回程度、必須ということですね。
2011年度に、5年生から英語の授業が始まったのと同じ要領ですね。時間も、導入当初は道徳と同じ、年間35時間でした。
今では倍の、年間70時間。始める学年も、3年生からになっているようですが・・
新しい制度ではそれくらいから始める、という通例なんでしょうかね。
教科書が文科省指定のものになる
義務教育期間である小中学校で、文科省という国の指導のもと、検定を受けて合格した指定の教科書を使った授業が行われます。
これまで道徳は「教科外活動」という位置づけだったため、指定の教科書がなく、「副読本」という、補助教材をおのおのの学校で用意していいことになっていました。
しかし道徳が「特別の教科」という位置づけになると、国語や算数などと同様、文科省の指定した教科書で、全国的にだいたい同じ教材を使って教育が行われることになります。
国語や英語の教科書は全国的にほぼ同じなので、同じ世代で話せばだいたい、通じますよね。
将来的に、あの現象が道徳でも起きてくるようになる、ということです。
教科としての道徳がはじまる背景
この変更の背景ですが、文科省としては近年深刻化している「いじめ」の問題に対して、道徳教育の重要性を再認識し、子どもたちの教育を見直していく、という流れで決められました。
この流れを決定的なものとした大きな事件としては、2011年の大津市での中学生の飛び降り自殺です。
これをきっかけとして、アンケートや個別の面談などが全国で実施され、2012年のいじめの認知件数がかなり増えました。
いじめの統計をとった文科省の資料では、そのことがグラフで示されています。(けっこう下の方)
ただし、この増えた数字を見て、単純に「いじめの件数が増えている」とは言い切れません。
調査方法の変更や範囲の拡大によって、「すくい上げられた件数」として、水面上に出てきた数字が増えているだけで、以前と比べて本当に増えているかどうかは、微妙なところです。
上の資料を見ても、2012年だけではなく、1994年と2006年にも件数がガクンと増えていますね。
これらも、見かたと見る場所を変えたことによる変化で、実際に増えたかどうかは、正確なところはわかりません。
ともあれ、文科省としてはこの調査結果を重く受け止め、学校教育における道徳の重要性が話し合われた結果、今回の教科化につながっているというわけです。
対立するそれぞれの意見。よく考えてみましょう
道徳を教科にすることに対して、多くの方が議論しています。
「いじめをなくすのに道徳教育の強化は重要」のように歓迎する意見もあれば、「一人一人の考えの自由を束縛しかねない」と心配する意見もありますね。
これは当然といえます。道徳というもの自体が本来、ただひとつの答えをもつわけではないものですからね。
ここではHOTな話題として、ニュースになった内容に触れていきますね。
教科書検定での指摘意見と、それを受けて修正した話
物議をかもしたのは、道徳の教科書検定の指摘と、その指摘を受けて改善した内容の話で、とても考えさせられます。
東京書籍の小学1年の教科書の「にちようびの さんぽみち」という物語で、散歩の中で、町のいつもと違う魅力を発見していく、というストーリーです。
原文をそのまま引っ張ってきたので、あなたも是非、読んでみて下さい。
修正前
そして、よい においが して くる パンやさん。
「あっ、けんたさん」
「あれ、たけおさん」
パンやさんは、おなじ 1ねんせいの おともだちの いえでした。
おいしそうな パンを かって、おみやげです。
(中略)
けんたは、いつもと ちがう さんぽみちも だいすきに なりました。
修正後
そして、あまい においの する おかしやさん。
「うわあ、いろんな いろやかたちの おかしがあるね。きれいだな」
「これは、にほんの おかしで わがしと いうんだよ。あきに なると かきや くりの わがしを つくって いるよ」
おみせの おにいさんが おしえて くれました。
おいしそうな くりの おまんじゅうを かって、だいまんぞく。
(中略)
けんたは、まちの ことや、はじめて みた きれいな わがしの ことを、もっと しりたいと おもいました。
東京書籍の教科書「にちようびの さんぽみち」より
読み比べてみて、どう感じましたか?
端的に言うと、パン屋さんが和菓子屋さんに置き換わっていますね。
検定では、「伝統と文化を大切にし、国や郷土を愛することを学ぶうえで不適」との指摘があったそうです。
パン屋さんとしては、自分たちが日本の文化にそぐわないと言われている、と感じても、おかしくはありません。
これがニュースで報道されてからは、実際に、パン屋さんからも和菓子屋さんからも、困惑の声が上がっているようです。
たしかに、私もこのニュースを見た当初は、「何のための修正なのかな?」と、不安な気持ちになりました。
指摘は教科書全体に対して。修正は出版社の裁量で実施
ただしこれは、ある意味「誤解」でした。
まず、「伝統と文化を大切にし、国や郷土を愛することを学ぶうえで不適」との指摘は、教科書全体にわたる評価だったそうです。
なにも「パン屋さん」が不適である、といっているわけではないのです。
さらに、東京書籍の変更も、その指摘を受けて出版社内で再協議を行い、変更した形です。
「パン屋さん」→「和菓子屋さん」という変更点のみが取り沙汰されていますが、教科書全体の修正内容が、新しい道徳教育のガイドラインに沿ったものである、と判断されたために、修正が認められたのです。
にも関わらず、ニュースでは、大々的に抜粋文と文科省の全体の指摘しか取り上げられていませんでした。
端的に、上の抜粋部分だけを見たならば、ひと悶着あってもおかしくはない、そんな内容であることが、あなたにもわかると思います。
「パン屋さんではなく、和菓子屋さんなら愛国心があるのか」と、一部の人たちは怒っていますが、文科省も本当にそれだけで指摘したわけではないでしょう。
東京書籍も、悩んだ上での修正でしょうね。修正前と修正後では、お店の変更こそ目立ちますが、言い回しや主観の追加など、他の部分も変わっていますね。
ことの一部始終をよく調べていくと、巷で騒がれていることの論点が、なんとなく本質からズレているような印象を受けます。
文科省の現時点での方針について
ひとつの情報として、文科省が出している道徳の教科化についてのQ&A資料のリンクを貼っておきます。(1ページだけの資料です)
教科としての道徳は、点数による評価は行わない予定です。
代わりに、その子の様子を見て、ポジティブな評価を文章で書く、ということにしているそうです。
ここで書かれていることには、素直に賛同できます。
「自分の頭で考え、判断する」ことが、最も大切だと思います。
わたしの考えたこと
先に述べたように、道徳は、たったひとつの答えがあるものではありません。
いくつも答えらしきものがある場合もあるし、そもそも答えが見つからない場合もあるでしょう。それが全てかもしれません。
ただ、そこに至ろうとする「考え方」や、複数の視点からの「ものの見方」を学び、身に着けることに意味があると思っています。
それを学習するために、道徳教育はあるべきだと思いますし、実際に自分が道徳の授業から得られたものって、そういったことです。
上で触れた、教科書の修正の問題だって、これからどうしていくか、どうすべきなのかは、最終的には誰にもわからないのです。
文科省や専門家などの大人たちのような、国を動かしている優秀な方々でも、そうなのです。
だからこそ、何が一番良いのかを「考えること」そのものが大切です。
私達パパママが、その考え方を実践し、子どもたちに教えていくことが大事なのだと思います。
私は現時点では「反対」よりの意見です
私は、上の文科省の出しているQ&Aでの、「道徳的な価値を自分のこととしてとらえ、よく考え議論し、特定の考え方に無批判で従うような子供ではなく、主体的に考え未来を切りひらく子供を育てる」という考え方には、共感します。
ただし、やろうとしていることそのものには、どちらかというと反対です。
文章での評価、とありますが、評価は評価です。
特に集団生活の中では、目に見える形での評価というものは、想像以上の大きな影響を及ぼします。
まだまだ価値観を組み立てている最中の子どもたちでは、尚更です。
私の個人的な感覚では、クラスの子供たちをひとりひとり、深くまで洞察できるような先生はなかなかおらず、そもそも荷が重いのでは?と思います。
まず、正確に生徒の成長の様子を把握するのが難しいですし、それを文章で表現するのにはさらに慎重な言葉選びを要求されるでしょう。
この難易度の高さが、結果として、評価される側としての子どもに、良い影響を与えてくれるとは思えないのです。
あなたは、友達と通知表を見せ合った経験、ありませんか?
通知表を見た友達や親が、どう感じるか。「評価」である以上は、本人もナイーブになりますし、どうしても意識せずにはいられないでしょう。
そういった意味で、これまでの、私たちが受けてきたような道徳教育は、ちょうどいい距離感のものだったと思います(自分たちの頃はよかった・・・心理かも知れませんが)。
まとめ
予想以上に長めの記事になってしまいました。難しい話に最後まで付き合って頂き、有難うございます。お疲れ様でした。
内容をまとめます。
・教科としての道徳は、2017年度に小学校、2018年度に中学校で開始予定。
・道徳の授業は必修。教科書も、検定を受けた文科省認定のものに変わる
・背景は、いじめ問題の対策
・道徳の教科化は賛否両論。内容について一部で騒がれているが、すれ違いもありそう
・himaguri的には反対。評価という結果が、良い影響を与えないのではと思う
ちょうど旬の話題ですので、家族で話してみても面白いかもしれませんね。
小学生のお子さんがいれば、きいてみてもいいでしょう。
この件自体が、道徳を考える非常に良い題材になっているようにも感じます(笑)。
まずもって、道徳のような考え方そのものにふれる機会が多いのは、家庭の方な気がしますけどね。
私も、きちんとした「道徳教育」を、妻と、ティコティコなわが娘と一緒に考えていきたいと思います。
以上、道徳の教科化について、でした。
Comment
今晩は(^^)
道徳の授業、懐かしいですね、あまり覚えていませんが(笑)
私は道徳の授業は、賛成か反対かと言われたら反対ですね。道徳の授業よりも基本の5教科(国語、算数、理科、社会、英語)をもっと増やして欲しいからです(笑)
5教科がガッチリ確保されている上で、プラスでするなら、いいんじゃないかなーと思います。一般的に良いとされている行動などを学ぶのはとても重要だと思います。
評価については…道徳でなく他の科目でも、子どもを傷つけるような変わった評価をしてくる方は世の中いるでしょうから、そこは親のフォローが大事なんじゃないかな〜と、私は思います(^○^)
こんばんは、イガイガさん。
コメントありがとうございます。
なるほど、「5教科をより充実させて欲しい」という見方は、私にはありませんでした。
一般的に良いとされている行動などを学ぶのは重要ですよね。でも、それに対する反論や、少数派の意見なども、考えられるような教育を期待したいと思うのです。
一語一句、同意です!家庭で教えられることで大切なのって、そういう部分なのではと考えています^^